3. お金が力の象徴ではなくなってきている

今までは、それぞれの人がいろんな職業について、

ちょっとずつ社会に貢献することで、社会がまわっていた。

 

そこで、お金は、君はちゃんと社会に貢献していると示す証拠だった。

社会にどれだけ貢献しているかを示すバロメータがお金だった。

 

一方、今は、ITやロボットが発達し、

人がやらなくてはいけない仕事が減った。

一人ひとりが働く量が少なくても、社会が回るようになった。

 

だから、仕事をしなくても生きていける人が社会に生まれてもいい状況になった。

 

だが、貢献している人じゃないと、お金を得られない。

生活保護や休職手当のようなものは、それはそれで変なものになっている。

 

貢献していなくてももらえるお金というもの、

もともとのお金の意味からすると変で、

さらに、貢献している人と同じぐらいもらえてしまうため、

貢献していることを示すお金という意味が揺らいでしまっている。

お金が貢献性を測るものではなくなってきている。

 

マズローの3つ目の欲求、社会的な要求は、社会に認められたいという欲求だ。

 

今までは、お金を得られることが、社会から承認されていることだったが、

そうではなくなってしまうと、

今、社会から承認されることとは何なのかという問いに行きつく。

 

企業というものの話をしよう。

 

今までは、企業に勤めていること、企業が社会から認められ、

企業に自分が認められことが、

自分が社会から認められていることだった。

 

しかし、社会が企業を認める基準は売上高だが、

お金が判断基準ではなくなってきていて、

大企業が売り上げを維持できなくなってきて、

社会に企業が認められているかどうかが怪しくなってきた。

 

そうすると、企業に認められること、たくさんの給料をもらうこととか、

昇進することが、社会から認められることを示しているかも、

怪しくなってきてしまう。

 

じゃあ、そもそも、社会から認められるとは、何なのか。

そういう状況でも、何があれば、社会から認められていると

思えるのか。

 

思うのは、感謝されること、必要とされること、誰かが助けてくれることなどの

横の関係性と、

人の上に立つこと、自分より下の人がいることという、

縦の関係性の2つがあるように思う。

 

縦の関係性にしぼって考えると、

今、人の上と下を明確に区別しているもの、

リア充と非リアの関係性なのではないかと思う。

リア充という特権階級が生まれつつあるのではないか。

 

みんな、facebook上に、自分がどれだけの特権階級かということを、競ってあげる。

おもしろいのは、そこでは、あまり旧価値観の話がされないということ。

 

昇進した、お金を持っている、大企業に就職したなどはあげない。

そんなことより、どれだけ自分が楽しくて幸せな生活をしているかを書く。

人にうらやましがられること、それが、リア充のステータスだ。

 

うらやましがられることをやるためには、情報を持っていないといけない。

旧価値観による、いい条件の休みがとりやすく、給料がよい職でないといけない。

 

でも、重要なのは、それをどうやって活かすか。

リア充になるためには、そこにエネルギーを使わないといけない。

 

また、リア充になれそうな集団は、大規模になるのは難しい。

なぜなら、周りがみんな同じぐらい幸せだと、その人が幸せなのが曇ってしまうから。

小さな、リア充になれる集団というものが興ってくるのではないかと思う。

 

また、集団としては、どれだけ自分たちが幸せかを

アピールすることが重要になるかもしれない。

自分で、自分の幸せをアピールすることは気が引けるが、

集団の楽しさをアピールすることは許される。

 

集団の役割は、今後、そこに属する人が

どれだけ幸せかをアピールすることに

シフトしてくのではないかと思う。